サーフィ・アーンに狂う月
第二十八話

 暫し、声を失う。これはどういうことかと頭の中で想像を巡らせた。伯爵が自らこの絵の前に彼女を案内した、そのことを考慮すれば、この二人がただの他人の空似でないことは判る。無論、伯爵家は王室とも縁が深く、過去幾度も王妃を輩出したり、王女の降嫁があったとすれば別だが。そういうものではない。明らかに、国王と伯爵、二人の間には濃い血の繋がりがある。そう考えてよいかもしれぬ。だが、その濃い血とは。
「伯爵」
 アリスティアは、彼の整った顔を真直ぐに見上げた。蝋燭の明かりを受けて、赤く輝く銀の髪。炎が映り込んだ青い瞳――美しい、と、素直に思える。これほど整った顔立ちは、アヤルカスにも存在しなかった。だからと言って、それがすぐさま恋慕に結びつくことはない。ただ、美しいと思うだけだ。夜空の星を愛でるが如く、庭の花に和むが如く。
「似ているでしょう。我らは二人とも、父親似なのですよ」
 にこり、と、伯爵が笑う。父親似、アリスティアは繰り返した。ならば、彼は先王の落胤なのか。それとも。
「先の国王陛下には、畏れ多くも子種がなかったのです」
 幾分、乾いた声が廊下の闇に沈みこむ。伯爵は、ファーヴィアン王室の紋章を指で辿りながら、現国王を見上げた。
「そういった場合、どうするか。ご存知ですか?」
 アリスティアはかぶりを振る。
 そう言えば、先の国王は多く愛妾を侍らせていたが、そのうち誰一人として懐妊することはなかった。唯一、子を産んだのは正妃のみである。件の王子が現国王フォルトナート二世。ルクレティアの夫だった。
「王后陛下に、子を孕んでもらうために。生贄を必要とするのですよ」
 生贄。不吉なる言葉に、アリスティアは眉を顰める。
 正妃の生んだ子が、嫡子として王位を継ぐ。そのためには、正妃を孕ませなければならない。そこで、種が必要となる。将来国王となるに相応しい子を為せる父、王家に近い名門の血を引く男子の血が
。選ばれたのは、先代の伯爵。先代国王の従兄弟に当たる彼は、国のため正妃を抱いた。
「わたしと、国王陛下は、異母兄弟にあたります」
 だから、似ているのだ。アリスティアは納得した。
 役目を終えた先代伯爵は、正妃に疎まれることになる。全ての段取りを整えた宰相も、王子の実父に脅威を覚え、彼を王都より遠ざけた。野心もなく、忠実なる国王の部下であった伯爵は、要求に応じ家族と共に住み慣れた土地を離れ、このスヴェンの地にやって来たのである。
「父はそれから間もなく亡くなりました。母も。わたしは、ひとりです」
 淡々と語る伯爵。彼の横顔に暗い影が走ったのを、アリスティアは見逃さなかった。本来ならば、彼は国王の兄として宰相の地位にあってもおかしくないはずだ。彼の父も、侯爵に取り立てられてしかるべきであろう。確かに、不義の子を王位に就けた罪は重いが、そうせねばならぬほど、王室は危機に見舞われていたのだ。公にできぬ関係、――伯爵は一度も国王に面会したことはなかったのではないか。これほどまでに似通った面立ちの存在を、王室は、重臣たちは、必死になって隠している。そう考えれば、幽閉されずこうして領地内にて自由な振る舞いができるのは、かなり恵まれているのかもしれない。最悪の場合、適当な罪を着せられ、処刑されるか。暗殺の対象となっていただろう。それをしないのは、この国が甘いからか。それとも、まだ何か。秘密を孕んでいるのか。
「死に場所を、探していたのですよ」
 華々しく死ねる処を、――伯爵は莞爾とした。彼はそれを戦に求めた。アヤルカスとの開戦、そこで彼は命を落とすはずだった。常に前線に立ち、全軍の指揮をとっていた彼は、しかし、死ななかった。セルニダを陥落させ、そこの征服者となったのだ。
 けれどもここでも、彼の功績は認められず。武勲をあげたにもかかわらず、何の報奨もなく領地にとめおかれている。
「伯爵」
「そんな目で見ないでください、アリスティア。自分が惨めに思えるではないですか」
 例の人を食った笑みを浮かべ、彼はアリスティアの頭を撫でた。父が子にするように、優しく。
 何故だろう、両親の仇であるはずのこの男が、今は哀れでならなかった。
「権利は、主張しないのか?」
 兄としての権利を。
 けれども、伯爵は即座に否定した。主張したところで、どうしようもない、と。少しでも妙な動きを見せれば、謀反人として捕らえられ、裁判も開かれることなく断頭台へと押し上げられてしまう。それくらい危うい立場なのだと彼は言った。
 理不尽だと思う。国のため、王室のため、その言葉のために犠牲を払った人物に対する仕打ちがこれなのか。アリスティアは唇を噛んだ。
「国王は、このことを?」
「知らないでしょうね。知らされてはいないでしょう」
 当時、王妃の出産に立ち会った医師、産婆、侍女、その全てが王子の一歳の誕生日を待たずして全て不審死を遂げている。【秘密】を知るのは、現王太后と宰相、それに自分くらいであろうと伯爵は笑った。彼がおとなしくしている限り、かの二人も手を出すような真似はしないだろう。下手に騒ぎたてて過去を暴かれる方が、彼らにとっては脅威なのだ。
「とはいえ、人の口に戸は立てられません。宮廷内にも密かな噂は流れているのですよ」
 現国王の父が、先王ではない。宰相がそれを潰そうとしているが、三十年近くのときを経た今でも、まだ消えることなく燻っている。それを気に病んでいるのか、フォルトナート二世は、極端な人嫌いであった。公務に顔を出すこともまれで、大抵は王宮の奥深くに籠っている。ただひとり、愛妾のサリエラにのみに心を許して、傍仕えさせているというが。
「サリエラ?」
 国王に愛妾がいたのだ、と、アリスティアは改めて実感した。君主たるもの、愛妾の数人は手元に置いてあるもの。ルクレティアも割り切って嫁いで行ったはずだ。
 その寵姫のみを傍に置いているということは、
「ルクレティアは、冷遇されているのか?」
 気になる処は、そこだった。冷遇されたところで悲嘆にくれるような娘ではないことは知っている。が、やはり正妃として嫁いだ姫君を蔑ろにするのは許せない。アリスティアは鋭く眼を細めた。
「さて」
 伯爵は軽く肩を竦める。
「宮廷の様子は、とんと存じませんが。陛下のお渡りがないだけで【冷遇】と決めつけるのも如何なものでしょうね。ただ、女官長あたりには早く世継ぎを、と、口酸っぱく言われているとは思いますが」
 ルクレティアの子供。誕生すれば、サーフィ・アーンの継承者の一人となる。アリスティアは密かに息を呑んだ。いまのところ、継承者は彼女とルクレティアの二人だけだった。名目上、アリスティアは討たれたことになっている――なれば、ルクレティア唯一人が、【遺産】継承の権利を持つ。
 スヴェン伯が熱望する、サーフィ・アーンの遺産。それがどのようなものか、漠然としか判らぬ自身が口惜しい。

 それから、二言三言、言葉を交わしたのち。

「もう、お休みなさい。子供の時間は、終わりですよ」
 伯爵は、アリスティアに【屋敷】に戻るよう促した。
「子供ではない」
 むっとして言い返せば、
「そうでしたね」
 彼はくすくすと笑った。
「立派な女性ですね。快楽もご存じの」
「……」
 びくりと肩が揺れた。カイとの交歓を伯爵は知っている。あるいは、彼のことだ。こっそりと覗き見ているのかもしれない。先程の話で憐れみを覚えた自分が腹立たしい。この男は、何処までも卑劣で悪趣味なのだ。
「あの方が、特定の女性に興味を示されるのは初めてですよ。どれほど魅力的な婦人を紹介しても、一度で飽きる方ですからね」

 ――ここまで相性のいい身体は、初めてだ。

 カイの呟きが蘇る。彼を虜にしているのは、アリスティアの人となりではない。身体だ。この肌が、髪が、唇が、――そして、蜜壺が。彼の好みに合ってしまったのだ。現に、身体以外の結びつきを彼は求めてはいない。アリスティアの元に現れたときも、飢えを満たすかのように体力の限界まで彼女を抱き、ある程度満足すれば出て行ってしまう。アリスティアは彼の快楽の器でしかない。彼女以上に彼を満足させる身体に遭遇すれば、カイはあっさりと彼女を捨てるだろう。それも判っている。だからといって、惨めたらしく彼に縋りつきたいとは思わない。彼が自分の身体に執着している間に、機会を窺い、ここを脱出する。そんなことを考えて、もう、どれだけの月日が流れたか。
「カイは」
 彼は、いったい何者なのだ。アリスティアは伯爵に問うた。
 元々、その件に関しての質問だったはずだ。それがいつの間にやら、伯爵と国王の因縁についてに話がすり替えられたような気がする。別の衝撃的な話題を持ち出して、はぐらかそうというのか、と。アリスティアは不快に思った。なんだかんだで、伯爵は自分を子供扱いする。確かに、彼の年齢のほぼ半分しかないアリスティアは子供だろうが。
「ああ、まだ其処までお話をしていませんでしたね」
 悪びれもせず、伯爵は言ってのける。初めから話さぬつもりでいたのではないかとアリスティアが咎めれば
「おやおや、人聞きの悪い」
 彼はまた、声をたてて笑う。どちらが子供なのか。アリスティアは唇を尖らせた。
「隠していたところで益があるわけでもなし。話したところで害になるわけでもありません――わたしにとってはね。貴方にとってどうなのかは、ご自身で判断してくだされば」
 勿体ぶった割につまらぬ答えであったら、どうしてくれよう。彼女は密かに拳を固める。と、伯爵は再びフォルトナートの肖像画を見上げた。
「あの方は、先代国王の唯一のお子様なのですよ」
 ざわり、と空気が揺れる。アリスティアは伯爵の言葉を幾度も反芻した。カイが、先代国王の子供、ということは。この国の正統な後継者、それに他ならない。
「そんな」
 それしか、言葉が出なかった。彼女もまた、フォルトナートの肖像画を見上げ、小さく身を震わせた。


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